真赤ちゃんかわいい 『電気サーカス』(唐辺葉介)


どこかのコピペで

瀬戸口儲  「あ…ごめん。君ならいけるかもって思ったんだけどね……」(卑屈)

なるほど卑屈は良くないな、とようやく気づかせてくれる瀬戸なんとかさんの本で、自伝的小説として読めなくもない本

  • アスキー連載だけあって一般的なアスキー読者層が共感する 無職 ドラック テキストサイト オフ会 少女との同棲 体の不調 プリンタ出張修理業 精神病院 を網羅していてグッとくる

個人的にはテキストサイト黎明期は全く知らないのだけれどもそれでも地続きに感じられ楽しく読めた

  • ヒロインたる中学生真赤ちゃんがすごい可愛くて僕が憧れ望む恋とはこういうものなのだなぁ、と思ったりした
    • まぁ更に優しくない『こいのことば』(緑のルーペ)みたいな展開をたどるわけですが
      • いや、でも脳裏に緑のルーペがよぎったのは幸運だったね、サーカスというワードから丸尾末広 絵で脳内再生していたらやりきれなかったと思うちなみに『トミノの地獄』はマイルド版『少女椿』と言った感じでアングラ感もパンチは弱くなったけど誰にでもおすすめできる塩梅になっていましたことよ
    • 特に書かれていないけど行間でSEXしてるんだろうなぁという主人公に対するマイナスの信頼感はある
  • 一晩で読み切るにはちょうどよいたっぷり分量なのでオススメですね、kadokawaなので待ってたらいつか半額になるでしょうしそのタイミングで読むのもオススメです
  • 以下ネタバレにならなそうなところでの引用

こうして僕は『ネット日記書き』となってしまった。取り立てて特筆すべきことのない有象無象の一人でしかない人間が、己の内面を片っ端から電脳空間内にさらけ出して喜ぶ、『ネット日記書き』という世にもおぞましい存在になり果ててしまった。

ネットのひとの憧れはある

失礼なのだろうか。そりゃ、異性からコンタクトがあれば嬉しいことは嬉しいのだけれど、わざわざ僕なんかに目をつけてメールを送る時点でどうかしていると思うよ。そもそも僕は誰かと個人的に知り合いたくて日記を書いているわけじゃない。無視されるのは嫌いだし、貶されるのも嫌いだけれど、褒められるのも嫌いです。  初めのころはメールを貰うたびに嬉しくて、あんなに無邪気だったのに。今でもそれは基本的にはかわらないとは思うのだけれども、随分すれてしまった。いちいち穿った目で見るようになってしまった。本来の僕の人間性が出てしまった。悲しいことだ。  全く僕は、「他者を蔑む病」と「自己を蔑む病」という恥ずべき二つの病によって骨髄まで侵食されている。こういう情けない考えは、みっともない考えは、謹んでいかねばならぬ。しかし困ったことに僕には極端な露悪趣味もあるものだから、結局こうしてここに披瀝してしまう。サイトにもそのまま書いてしまう。これはどうした精神の偏りなのだろう?

相変わらずのダウナーで厭世的な文体

母親が僕の目には見えない、ありがたみもわからないものを信じ、それを大事にしているというのは、幼い僕にとって何か奪われたよう気分がしたものだ。思春期になると、宗教は世の中にはびこる数多の迷信と同様のものに思え、なお一層嫌悪感は増した。その一方で、何か自分にはわからぬ魅力があるのか、あるとしたらそれはどんなものなのかが知りたくて、こっそり母の聖書をめくったりもしていた。宗教は長らく、身近にあって、しかし受け容れがたいものであった。

あるある、母親がアムウェイとかにはまってるとなんか悲しくなるよね

ネットのボンクラどもを集めて何かするだなんて、その企み自体が胡乱じゃないか。インターネットは、現代人の心の暗闇を反映した魑魅魍魎の世界なのだな。

オフ会とかのイベント行ってみたい

彼もきっと、僕のように、自分の部屋で一人文章を書いている時は自由になれるけれども、こんな場所では戸惑いと嫌悪感ばかりが先に立ってしまう人種に違いない。同好の士を求めてここに来たものの、自意識が邪魔をして踊ることも出来ず、話しかけるべき知人もおらず、孤独感を噛みしめているのだ。時々音楽に合わせて身体を揺すってみたりしてみても、すぐにくじけてやめてしまう。ああいう人物は好感が持てる。僕と友達になれそうな奥ゆかしく誠実な人材である。

参加者たちはこれから家に帰り、PCの電源を入れ、自分のサイトを更新するのだろうか。そうして今日の感想を書くのだろうか。どの有名サイトの誰に会って親しくなったと自分の社交性を誇ってみたり、顔をつきあわせていた時の愛想の良さとはうって変わった冷淡な態度で辛辣な陰口を叩いたり、批評家気取りでコミュニティ論評をしてみたり、あるいはそんな会になど初めから参加しなかったかの如く一言も触れずに普段通りの日常日記を書いたりするのだろう。

イベントこわい

先日から東京の外れにあるメーカーのビルで、研修を受けろという話だったのだけれども、それがどうにも馬鹿馬鹿しくて、いやになっちゃったのである。  どうも、完全な初心者向けの研修だったようで、内容が実にくだらない。研修が進めば高度になるのかと言えばそうでもなく、資料に最後まで目を通してみても、知らないことが存在しない。そして実際に出席しても「レーザープリンターのプロセスは、現像、転写、印刷である」というような話を一時間もかけて説明されたり、「社会人は報告、連絡、相談の、ホウレンソウが大事」などという、わかりきった話をしたり顔でされてしまう。  こんなものを毎日聞かされては、退屈のあまり性格が歪んでしまう。僕はこれ以上性格を歪めたくなかったので、もう行かないことに決めたのだ。

分かる

結局、働けば良いのである。何とすれば、人間というのは多少性格や生活に暗い陰があろうとも、まっとうに勤労し経済的価値を生み出していれば、この社会において一個の人間としての扱いは受けられるものだからである。逆に言えば、いかに心優しく、健全に生きていたとしても、経済的な能力が皆無ならば一人前とは見なされない。いわんや、人格破綻者ならばなおさらである。

働かなきゃ

外でしてきたことを思い出すと、僕は恥ずかしくてたまらない。なんとか適応しようとして、そして結局出来なかった。自分の心の中に何も見つけることが出来なかった。幸福を感じる感性を育てることが出来なかった。他人を愛したり他人に愛されたりすることが出来なかった。やらないでいいことばかりしてしまった。ここに居れば、もうあんな醜態をさらすこともないし、何かを望もうという気にもならない。

そして幸せになりたい

それがどうしたという話ではあるが、僕にとってはほんの少しは意味がある。やはり日記サイトというものは麻薬だ。書き始めてしまうと、文章を書かない一日には価値がないような気がして来る。だって、日記に書かなければ、人生というものは日めくりカレンダーが毎日捨てられてゆくように、一日一日というものを過去に捨てていってしまうものでしょう? 考えたり感じたことも、喪われてしまうのでしょう? それを、日々文章にすることで引き留める、とまではいかないにしても、少なくとも書くことで、あらゆる喪失に対してあらがっているような気分にはなれた。人生に価値を持たせる闘争に参加しているような気になれた。僕は喪失が怖いのだ。

なんかこれから感想書いていきたいな、って思わせてくれたので明日から今年読んだ漫画とか1作品ずつ軽い感想を書いていこうと思いました。